昭 工務店

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対応地域

新潟市全域

 

事業内容

■住宅リフォーム
・水まわり
・内装
・外装
など
■新築住宅建設
■不動産業

 

会社概要

(株)昭 工務店

Tel.
025-373-2295

Fax.
025-378-4595

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あき工務店の誕生-想い

はじめまして 昭 工務店代表の板谷昭人(いたやあきひと)です。
お元気ですか。
あなたとこうしてお話できる事を大変うれしく思います。
わずかな時間ですが私の歴史を公開いたしますので、あっくんってこんな人だったんだって思ってくれたら幸いです。

 

板谷昭人

 

大工家系でした・・・

もともと、私の家系は大工でして父親(現場は出ないものの今も健在で晩酌は焼酎)と祖父と伯父二人で板谷工務店と称して地元で有名な工務店でした。
弟子達もかなりいたみたいです。当然住み込みでしたのでかなり厳しく育てられたと聞いています。
幼い頃から作業場に遊びに行っていたせいか木のにおい、木の肌触り、木の温もりと言うのを感じていたと思います。

 

大工家系でした・・・

 

中学、高校の夏休みは現場のアルバイトに行き、今思うと父親の背中をいつしか追いかけていたのかも知れません。
小学生時代めちゃくちゃ厳しかった担任の熊谷先生は卒業式の日、一人一人に日頃のスナップ写真を焼きまわしし、一生の思い出をプレゼントしてくれました。

それまで先生のことがみんな嫌いでしたが、今思うとあれは愛情の表現だったのかもしれないと大人になった今、あらためて先生に感謝したいです。

 

高校時代

高校は地元からはなれ新潟市立高志高校に通いました。小中と野球部に入っていた流れから高校野球と言うものにも憧れがあり即入部。
しかし理想と現実は違っていました。厳しい上下関係、軍隊じみた空気にうんざり。
先輩からの伝統なのか知らないが
新入部員はたるんでるといってシゴキ蹲踞3時間(しゃがんでつま先立ち、手は頭のうしろ)させられ、膝を地面に付かせるとバットで殴られました。
こんな野球にうんざりし、半年あまりで退部し帰宅部に入部。

 

もてあました放課後の時間を仲間と遊んだり、コメリでのバイトに費やしました。
働くことに興味が沸いていて、大工のアルバイト、コメリ、水道屋、年賀状配り・・・ その他とにかく働きました。

そのころの時代はバンドブームで地元の仲間達とバンド結成しライブハウスにも何度か出たこともありました。
BOOWY、Ⅹ、・・・
ツッエペリン、パープル・・・

 

高校時代

 

まあ右みても左見てもギター担いでいる人があふれていましたから、僕もそのながれに乗りアルバイトでの報酬でギターを購入しましたが、これはやっぱりセンスがないと弾けないと感じボーカルに移動、日頃のストレスをマイクにぶつけていました。その頃の一緒に青春を過ごした仲間達は今でも交流があり白根大凧合戦巻凧組風神会の基礎となり絆となりました。

 

就職活動

高校卒業を前に就職活動に入る頃、時代はバブル全盛期。
学校に求人の部屋なるところがあり部屋中求人情報がぎっしりで今では考えられないほどでした。
大工になる夢は持ってはいたものの、とりあえず地元の工場(ゴールドキャスター株)に就職。
これがきつかった。
いろんなアルバイト経験はあったものの、流れ作業なるものは初体験。永遠と流れてくる部品のねじ締め作業。
作業中は立ちっぱなしに足が棒状態プラス、工場にひろがるゴム臭で目まいと吐き気。とにかくきつかった。
持ち前のバイタリティとプラス思考でなんとかかんとか一年務め、
しだいに会社の空気にもとけこんでいました。

しかし会社の良い先輩達に囲まれ、仕事にも慣れてくると、単純な流れ作業や何の為にこの仕事をやっているのか、このままこの工場で一生終わるのかと思い始め、丁度その頃仲の良かった先輩達も自分の夢を追い一人辞め、二人辞め・・・
その時に父親の背中、大工の大込み、木の香り、幼い頃現場に遊びに行きお客様との触れ合いなどがふつふつと湧きあがり

 

そうだ!

俺は大工になるんだ。大工になって素晴らしい家を作ってお客様と一緒に感動を味わうんだ!!
と頭の中でもう一人の自分が教えてくれました。!!
そうと決めたら即行動が取り柄の私、早速会社に辞表を出し
父親に俺大工になる宣言しました。
しかし、父親は大工の厳しさ、建築のこれからを考え反対の意見でした。
それでも私の意志は固く父親に頼み込み知り合いから紹介して頂き新潟市関屋にある
朝清工務店株式会社に入社(弟子入り)させていただきました。当時19歳の夏でした。

 

就職活動

 

大工生活のスタート

大工生活のスタートです。
社長の都合により住み込みではなく自宅からの通勤でスタート。
前の会社に勤めていた頃に買った愛車クレスタで通勤。
大工は作業場での加工仕事が終わればあちこちの現場で作業するので自宅から直接現場に向かう日も多かったです。
会社の社長はかっぷくがよく一言で言うと太っ腹な人でしたが現場には出ずに、
仕事そのものは社長の弟にあたる人(通称分家さん)と兄弟子にあたる林さん(佐渡出身)から教えて頂きました。
当時は次から次と仕事があり大事な作業もお前やってみろと言われ不安もありましたが、なんとかこなし序所に自信をつけていきました。

 

そして、技術だけではこの先通用しないと感じ、夜間の職業訓練校木造建築科に入学
3年間昼間現場、夜は訓練校と通い続けました。
そこでは場所は違えど大工を志す若者達が集まっているのですぐに意気投合。仲間としての絆も生まれ、週末には古町に飲みに行ったり、旅行も行ったりとても楽しかったです。今でも仲間として仕事で交流しています。
これもかけがえのない宝です。
勉強と仲間と一生懸命やった結果、無事に卒業するときに新潟県知事賞なるものを頂きました。
大変光栄なことと感謝しました。

 

大工生活のスタート

 

卒業後すぐに設計の資格として二級建築士の国家試験に挑戦
見事学科、製図と一発合格。晴れて建築士としてデビューいたしました。
弟子入りから4年の月日が流れていました。
この月日の中で大きく、大きく成長させて頂き感謝の一言の中私の中でまた湧きあがるものが出て来ました。
早く地元白根に帰り、父親達がやってきた板谷工務店に入り仕事がしたいと。
月日が経てば経つほど思いは膨らみ、ついに社長に打ち明け、気持ちを伝えました。
本来なら修行を終えたら一年間は礼奉公するもんだがしかたない・・・
社長は納得し地元に帰ることになりました。
最後の現場の日は感謝の涙で釘が見えなかった事を思い出します。

 

地元白根でスタート

修行を無理やり?!終わらせて板谷工務店に就職して基本的には伯父に付いた格好になりました。幼い頃からの夢でもある
実家の工務店で働けることに喜びを感じ充実した大工生活を送っていました。
弟子の頃の会社は他社の大工交流はなくすべて自社で行っていました。なので当時の私は視野が狭く胃の中の蛙状態だったのです。伯父についてからは設計屋の仕事、自社の仕事、そして他社の工務店、建築屋との交流でいかに自分がまだまだ
と言うことなんども痛感しました。
そして世間は厳しいと言うことも・・・
でも、いろんな大工さんとの交流ができてうれしかったです。

 

伯父は父親に似て頑固一徹な人で昔ながらの職人!って感じの人でした。(ってまだ健在ですけど。)
酒、煙草が好きでよく肝臓が壊れないなといつも感心していました。
作業場での慰労会や職人達と酒を飲み交わしながらいろんな話をしたり昔話を聞いたり時には怒られたり、笑い転げたり楽しい時でした。

しかし順風な時は長くは続きませんでした
設計屋の新築物件をメインにやってましたが・・・

 

地元白根でスタート

 

設計屋が、突然の倒産・・・

ある日、突然の倒産でした。
それも新築上棟したばかりで工務店にとっても各下請業者にとっても
そして
お客様にとっても最悪な出来事でした。
板谷工務店就職3年目、これからって時に仕事激減。
とりあえず自宅待機と思いきやこれまた突然の解雇通告
先行きの見透視が立たないということでした。
忘れもしない25歳の冬。
世間は不況の嵐
はてさてどうしたもんか
行き場もなければ大工生活終了!?
ハウスメーカーに就職!?
また工場勤めに出戻り?
いろいろ考えました。
考えると人は行動にでるものなんですね。
地元に来てから交流のあった先輩大工さんのところへとりあえず行きました。
その人は一人親方で
若い時から独立してやってきた大工さんでしたので、いろんな体験や仕事の話をしてくれましたし
私の内情や状況なども理解してくださいました。
そして、話を聞いてるうちに・・・

 

設計屋が、突然の倒産・・・

 

よし、独立しよう!

胸の内を聞いてもらいながらいろんな話を聞いて行くうちにこれは私のターニングポイントだと感じ始めました。
それよりなによりお客様と直接話しができ感動を一緒に味わえるじゃないかと気づきました。
不運にも工事途中で元請け会社の倒産なんて・・・
一生に一度あるか無いかの家作りが台無しだったお客様のことを考えた時
いままで修行してきた技術をダイレクトに与えてやればお客様が最悪の状況になんか絶対にならないと確信しました。

 

そう思ったら即行動の私ことあっくん
名称を
名前の昭人(あきひと)から昭をとり

昭 工務店

と付け独立したのでした。若干26才の春・・・

 

よし、独立しよう!

 

が、独立したは良いけど仕事と言うのは全くありませんでした。
世間は不況の嵐、
考えてみたら大金を25,6の信用もない工務店に預ける訳ありません。
これでは駄目だと思いとりあえずは大工道具を車に詰込み、しばらくの間は地元の大工や工務店、建築屋に
渡り大工で生活していました。
そこではまたいろんな出会いがあり、仕事も勉強になり
仲間になって飲んだり、つらい時もありましたがそれはそれで大変勉強になる時でした。

そんな時地元の小料理屋さんでバイトしていた(本職は床屋さん)今の奥さんと知り合い
できちゃった婚♡
28才の夏でした。
結婚し、子供ができたら尚一層がんばらねばと自分に発破をかけました。
すると徐々に地元での知名度が出て来ました。

 

初めてのしごとは手摺1本・・・

最初の仕事は手摺一本取付でした。
でもお客様に頼まれることが嬉しくて、嬉しくて
その後の工事でサービス工事をやりすぎで赤字になったこともしばしばありました。
工事が終わった後のお客様の満足した笑顔が何より嬉しくて一緒に涙したこともありました。
こうして独立から数年していろんな人と出会い逆にお客様から昭工務店は支えられているんだと感じました。

ありがとう おめさんに頼んでいかったいね~

そんな声を沢山頂き胸が熱くなりました。『よし、また頑張るぞ!』と現場に向かう日々がお陰さまで続いてます。

見てくれだけの建築、家作りじゃなく、もっとこころをベースとした住宅作りを目指すようになりました。

『釘一本からおまかせください』

これが昭工務店の気持ちです。

 

気が付けば職人、従業員と雇う親方になり、三女もさずかり

ますますがんばって家族のため、従業員のため、職人のため

そして何より住まいの暮らしで悩んでいる方のために昭工務店はあるのです。

いつの日かお会いできる日を楽しみにしています。

 

初めてのしごとは手摺1本・・・